拠り所としての神田明神
~変わるもの、変わらないもの。~
千代田区と聞くと皇居、オフィス街、古書街、大学というようなイメージを持つ人が多いだろう。そんな千代田区に有名な神社があるのはご存知だろうか。神田明神である。神田明神は江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史を持つ神社である。毎年5月には日本三大祭のひとつである神田祭が、ここ神田明神を起点として行われている。そんな神田明神は様々なアニメとコラボするなど、新しい物事に取り組んでいる。多くの人にとって、神社に足を運ぶ機会は初詣やお参りなどぐらいであろう。私もそうである。だが、神田明神を通して、神社について知り、足を運ぶ機会が増えたら嬉しく思う。私達は神田明神でお話を聞き、境内を案内して頂いた。そして、神田祭では見学すると共に、神輿を担ぐ体験をさせて頂いた。これらを通して、地域コミュニティに関してや、近い将来への課題が見えてきた。
神田神社の歴史
正式名称は神田神社。「明神さま」の名で親しまれている。
なぜ、この場所に建てられ、何が祀られているのだろうか?
奈良時代の天平2年(730年)、出雲から旅に来ていた真神田臣という一族が柴崎村にたどり着いた際、故郷の出雲大社の神であるだいこく様をお祀りするために建てた小さな祠が神田神社の始まりと言い伝えられています。柴崎村という現在の大手町や丸の内にあたる場所にありました。
関ヶ原の合戦で天下統一を成した徳川家康は、江戸城を拡張工事する際に神田神社を柴崎村から現在の御茶ノ水の地に移しました。これは「鬼門」という鬼や穢れなどの悪いものの入り口に神社仏閣を置くことで江戸城を守護しようという意図です。鬼門には「表鬼門」と「裏鬼門」の2種類があり、江戸城から見て表鬼門にあるのが神田神社で、裏鬼門にあるのが赤坂の日枝神社です。
神田神社では一之宮の「だいこく様」、二之宮の「えびす様」、三之宮の「まさかど様」を御祭神としてお祀りしています。三之宮のまさかど様は、平安時代の武士の先駆けである「つわもの」として名高い平将門公という方です。将門様は一度ご祭神を外されてしまい将門神社に遷座されましたが、将門様を慕っていた神田明神の氏子の方々の働きかけによって、昭和59年(1984年)に三之宮に再びご祭神としてお祀りすることになりました。
新しい取り組みについて
近年、神田神社では他の神社ではみられないような珍しい取り組みに従事している。例えば、インターネットTV神田祭チャンネルによる神田祭の生中継配信、アニメ「ラブライブ!」とのコラボレーション、巨人戦神田祭dayというスポーツとの融合などその取り組みは多彩だ。こうした新しい取り組みを積極的に進めていく背景には何があるのだろうか。
お話を伺った神田神社 権禰宜の春日 貴仁さん
- 学 生
- どのような経緯で異色なジャンルのもとコラボレーションをするに至ったのでしょうか?
- 神 職
- アニメ「ラブライブ!」とのコラボレーションに至った経緯としましては、作品にこの神社が登場したというのが、大きな理由のひとつ。もうひとつしっかりした理由としまして、氏子が関係しています。当社の氏子区域は、神田・日本橋のほぼ全域、そして大手町・丸の内までございます。さらに広げると、築地の魚河岸。もともと日本橋にあったことから魚河岸は今もなお氏子地域に入っています。そして大田市場もまた氏子地域です。それはかつて神田の多町二丁目に青果市場があり、それが秋葉原に移った後大田市場へ移転したことが由来です。このように氏子地域はとにかく広いのです。その中で、秋葉原もまた氏子地域にあります。「ラブライブ!」はまさに秋葉原を舞台にした作品ということで氏子のつながりをきっかけにコラボレーションをさせていただくに至りました。
インターネットの中継は、氏子の皆さんの中で、足の不自由な方、境内に入って実際にお神輿の宮入りを見られない方、遠方の方のために、中継して、宮入りされるすべてのお神輿を紹介して行こうというお声があったことをきっかけに始まりました。当初はドローンで空から撮影しようという試みもありましたが、危険性を踏まえてやめようということになりました。今では中継をたくさんの方に見ていただいております。特に最近では若い世代の方々にも見ていただき、神社に興味を持って、参拝に行かれるきっかけにもなっています。さらには直接神田祭に参加したいという声も上がり、年々若い方の参加が増えているのも現状です。過疎化や高齢化が進む中で、若い方々がお祭りに協力してくださるのは大変ありがたいです。それを通じて町会、町全体が盛り上がるという点ではとてもいいことなのではないかと個人的に思います。
- 学 生
- アニメと神社のコラボはとても斬新ですね。コラボにあたり神社にそぐわないのではないかという反対意見もあったのではないですか?
- 神 職
- 反対意見も確かにございました。しかし、かなり昔の作品にはなりますが、銭形平次という神田明神を舞台にした作品がございまして、現在は当社にその碑があります。これもまた当時のコラボレーションと言えるのではないでしょうか。神社というのは、昔のものを守りつつ新しいものを取り入れていくのを大事にしております。ですから、「ラブライブ」は当時の銭形平次のコラボと同じ形で、現代のコラボとして始めさせていただきました。反対意見の声にはこのように説明させていただいています。おかげさまで、今の今まで大きな反対というのは特になかったです。
地域住民との関係
最近増えている、都心回帰の流れの中で引っ越してくる住民や観光客を取り込むためにどのような工夫をされているのだろうか?
- 学 生
- 最近、東京には移住してくる方が大勢いらっしゃいますが、そういった、いわゆる新住民との関わり方は?
- 神 職
- 一つとしては行事があります。この6月30日には「夏越大祓式」というお祭りを当社で行いました。8月には納涼祭り、いわゆる盆踊りがあったりだとか、9月には大手町にある将門塚の例祭、年に一度のお祭りがあります。それぞれの神職でエリアごとに分けて町会を担当し、そういった行事ごとに、お知らせを町会の方々にもご協力いただいて、例えば新しくできたマンションや飲食店などにもお知らせを置かせていただいたりとかしています。
夏越大祓式に使われた芽の輪
- 学 生
- 観光客についてはどう思いますか?国内では信仰もなくお参りもおろそかな方も少なからずいると思いますがどう思われますか?
- 神 職
- 観光地として来る。これは問題視はしていないです。もちろんしっかりとした信仰心をもって、神様を心から信じていらっしゃる方、なかには毎朝お参りに来られる方もいらっしゃいますが、観光で来るというのも旅の一つの楽しみですから。いらっしゃるからにはお参りはしていただきたいですけれど、それぞれ皆さん信仰に対する考え方があり、強制できない事ですので。観光としていらっしゃっても我々神職は快く「ようこそ」という形でお迎えさせていただきます。おもてなしもさせていただきます。
- 学 生
- 最近のスタンプラリー感覚の御朱印集めはどう思いますか?
- 神 職
- 御朱印はブームになって、少し峠は超えたかなという感覚はありますがまだまだ人気ですよね。特に今年5月には令和という元号になり当社もすごかったです。
御朱印というのは昔のスタンプラリーのようなものと言ったらそうなんですけども、例えば皆さんが目上の方のお家に行ったらチャイムを鳴らして自己紹介をしますよね?それと同じなんです。観光や買い物の前に神社にいらっしゃったらまず神様にご挨拶してくださいと。また、神道とはどういうものなのか、神社とはどういう場所なのかというのをご参拝の方にご説明することを教化活動というんですが、その活動の一つとして、御朱印を受けるときには、御朱印というのはこういうものです。大事にお持ち帰りくださいという風なご案内はさせていただいております。
- 学 生
- 文化交流館ってどんなところなんですか?
- 神 職
- そちらは神社直営でははくそれぞれテナントが入っていて、そこで色んな催しを行う形で、ご参拝の方のみならず、神社ではこう言った言い方はそぐわないかもしれないんですけれど、いろんな「お客様」をお招きしている。そういった工夫はさせていただいております。
国内の観光客と同様に、おもてなしをする一つの形として文化交流館の地下一階は(株)CoCoRoという会社が営業しており、そこでは外国の方が来た時に和服の体験やお茶の体験なども行っています。そういったおもてなし面でも、最近では当社では力を入れております。
- 学 生
- 継続して参拝していただくために、一度の参拝で終わらせない工夫などはありますか?
- 神 職
- これはやはり難しいことなんですよね。例えば何か神秘的なことを感じられる方はずっと参拝していただいていますが、やっぱり難しいことです。
神社としてはさまざまな催し物、例えば「夢叶参拝」というのを3ヵ月に一回ほどさせていただいています。我々神職が講師になって、神道それから神社というのはどういうものなのかPPで説明したり、特別な参拝を社殿の中で受けていただいたり。資料館で特別展をしたり。そういった取り組みはさせていただいております。
町のよりどころとしての神社の未来
長い歴史の中で様々な社会の変化に直面してきた神田神社。その中で変わらないもの、そして神社の役割とはどのようなものだろうか。
- 学 生
- 神社と氏子との関係は変わっていくのでしょうか。
- 神 職
- 神社というのは一つの町の拠り所、心の中心にあるもので、今も昔もこれは変わっていないと思います。その中心に当社で言うと神田祭があり、氏子の皆様は命を懸けている。それぐらい力をいれている行事ですので、その本元の明神様っていう風に親しまれている。そこからもわかる通り、非常に神社と町の人とは切っても切れない関係でいる。心の中心にあるのが神社というのは変わらない部分だと考えています。
- 学 生
- こちらの神社はとても長い歴史が続いているわけですけども、この歴史が途絶えないためにも、今後どのような形で地域、そして人々と関わっていきたいと考えておられますか。
- 神 職
- まずは氏子を大事にする。町の方を大事にするという事ですよね。神社あるから町があるのだという考え方ではなくて、氏子地域・町会の方がいるから神社というのは成り立っているんだという考え方で日々我々は、「ご奉仕」させていただいております。
そしてあとは驕らないという事ですね。神田明神はすごいんだっていう風に思ったりしないこと。やはり参拝の方、崇敬の方あっての神社ですので、そういった方々をこれからも大事にしていきたいと思っています。
町の姿は絶えず変わり続ける。しかし、神田明神はこれからも地域の拠り所であり続けるだろう。一見突飛に見える数々の取り組みの中にも、神社の重ねてきた歴史や、この地域の特性が現れているのだ。
激しく移ろう時代の中で変わらぬ関係を守ってゆくために、新たなものを取り入れ、自ら変化していく。そんな伝統と柔軟性を兼ね備えた姿勢はこれから社会へ出て行く私たち学生にとっても、新たな元号となり、オリンピックを来年に控えた日本とっても必要なものではないだろうか。 神田祭の熱気は神社と氏子との信頼関係の現れであり、その盛り上がりは観光客や学生、外国人といった外部の者まで巻き込んでいく。神田明神はこれからも地域とともに新たな歴史を紡いでゆくだろう。
『はじめてのお神輿体験記』
神田祭は江戸三大祭りの一つに数えられ、京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本三大祭りともいわれています。私たちが参加したのは二年に一度開かれる本祭で、鎌倉町のお神輿を担がせていただきました。
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神田祭のイメージ
神田祭の名前やポスターは見たことがありましたがポスターではたくさんの人で賑わっていて私達とは縁遠い存在で、神田祭の実態についてはよく知らず、近寄りがたいイメージでした。しかし実際に神田祭に参加してみると誰でも気軽に参加できるお祭りでした。お神輿を担ぐのは体力があり選ばれた人だけがずっと担ぐイメージがありましたが、実際の参加者は地域住民、その女性や子供、外国人、会社員の他にお神輿の同好会の人達でした。お神輿は担ぎたい時に担いで体力がなくなったら交代する方法で無理なくできるようになっていました。
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御神輿の先頭を清める御幣
お祭りに参加するにあたり、まず装束を着ることから始まりました。
衣装を着ることでこれからお神輿を担ぐのだと改めて実感し、気を引き締めました。担ぎ手はただ法被を着ていれば参加できるものではなく、法被、股引き、足袋を身につけていなければ参加できないものでした。指定された衣装を着るのはお神輿が神社でありお神輿の中に神様がいらっしゃるからです。お神輿は神社のため側面に四神や狛犬、どこからでもお参りできるように四方に鳥居がありました。お神輿の前に通る御幣は神様が通る道を清めるためのものなのでお神輿と御幣の間は通ってはいけないという注意を始まる前にしていました。
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お神輿を担いでみた
会場に着いて私達がお神輿を担ぐ前にいくつかお神輿が来たのですが、その時はそこにいた担ぎ手と思われる男の人達が怒鳴って指示をしていて、彼らの勢いに気圧されました。そしていざ始まってみると担ぎ手の皆さんは一生懸命でその空気に圧倒され、自分達もお神輿を担ぐのは初めてだったのと担いだときの掛け声、独特なリズムは難しく何かを考える余裕などありませんでした。
目的地に到着し、お神輿を担がない時は「馬」という台に必ずのせました。ここは失敗するとお神輿が落ちてしまうため皆さんかなり丁寧にやっていました。お神輿を降ろす時はただ降ろすのではなく、サシをしてから一本締めをしました。ここで担ぎ手の人達と一緒にお神輿を運ぶことができたという団結力と達成感を感じました。
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これからの神田祭
お神輿を担いでいた人たちはおよそ30~50代ぐらいの男性や高齢者などが多く、体力のある若者は少なかったです。私たちのように多くの若者が祭りに参加することで人手不足が解消されさらに神田祭が盛り上がるのではないでしょうか。
初めて神田祭に参加し、お神輿を担ぐという体験をさせていただいて氏子の信仰心の強さ、人々の熱気の凄さに圧倒されました。肩にあざができるぐらい大変でしたがとても貴重な体験をすることができました。